植物を育てること
山梨でハーブ達のお世話を始めてもう6年も経っている。
あっという間のような気もするけど、まだ6年なんだな・・・という気持ちもある。
時々、はぁっ!!とさせられることがある。
ワタシには植物を育てることをお仕事にすることが向いていないんじゃないかと。
例えば、このラベンダー
株の半分は枯れてしまっている、けれど根元から傾いている部分がまだ生きている。
本来ハーブ園を商売で営んでいるならば、この場合は容赦無く引っこ抜いて新しいものに取り替える。
全体的に木質化が進んでいるし、ここまで形が崩れていると仕方ない。
けれどこの子をずっと眺めていると、ワタシにはどーしても、簡単に「はい、さようなら!」が出来なのです。
なんとか生かしていきたい、このまま残したい。
この判断が、自分が「商売で植物を育てる」ということが向いていないんだろなと感じる瞬間である。
仕事にしちゃダメなタイプなんだよなと。
収穫して加工してお客様へ届ける。このためにはもっと容量良くテキパキと行動しなくてはならないのに、自分はそこへ「感情」を入れてしまっている。
今にも折れそうな枝から、それでも必死に命が芽生えているのを発見してしまうと
本当に辛い。
ただでさえ、緑豊かに育っているハーブを短く切り整えることができなかった位です。
かわいそうで。でも本当は元氣に成長させるために必要な剪定っていうものがあるんだと
思い知るまでは、へなちょこ農家でした。人も髪が伸びればカットするし、植物だってそうなんだ。
健康に豊かに成長させるためにカットは必要なんだと思えるまでちょっと時間が必要だった。
繋いでいくよ
あ〜、ハーブ園が趣味だけだったらなぁ〜。と嘆いても仕方ない。
だからこそ、大切な命、繋いでいこうと思うのです。
このラベンダーの先端部分や元気のいいところを採取して、挿木にして育てる。
親の本体は残念ながらだけど、分身を育てていくよ。ちゃんと引き継いていくからね!と声をかけた。
本体がダメなら はい!さようなら!!ではないのだ。
だって、ワタシは奇跡を知っている。生命の逞しさを知っている。
過去に、老木になりボロボロ。そのため殆どの枝を短く剪定したラベンダーがありました。
ダメもとで強剪定の丸坊主。そんなラベンダーさんがなんと見事に
ここまで復活したの。もちろん、すでに一回収穫済みでその後にまたチラホラとお花をつけている状態なんです、若い目がいっぱい出てきました。
だから、命は簡単に粗末にしない。いつもワタシは香草園にくると植物の逞しさと純粋さに励まされているような気がする。
「まだまだいけるよ」「お前も頑張れよ」 そんな声が聞こえる気がするから。
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